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名古屋高等裁判所 昭和49年(う)433号 判決 1975年1月23日

本籍及び住居

三重県三重郡朝日町大字埋繩九八九番地

農業

水谷雄幸

昭和五年一月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四九年七月二日津地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官関口昌辰出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、まず、本件の事業主体は、被告人ではなく、水谷耕三郎であると主張して、原判決の認定する事業所得の帰属を争うものである。

しかしながら、記録を調査し、原判決挙示の各証拠を子細に検討すれば、本件については、被告人が東海起業の業務全般を統轄していたものであり、事業主体として、その事業から生ずる収益は被告人に帰属するものと認めることができる。しかして、この点に関し、被告人及び弁護人の主張に対する判断中「第一本件事業所得の帰属(事業主体)について」の項において詳細に説示する認定、判断は、すべて相当というべきである。所論は、東海起業が水谷耕三郎の事業として従来から所得の申告がなされており、かつ昭和四五年度も同様耕三郎の事業所得として申告がなされ受理されているのを根拠に、昭和四三年度、四四年度のみ被告人が右事業の事業主体であるとの原判決の認定は誤りであるというが、原判決は、本件の年度以前の所得申告が、表面上は耕三郎名儀でなされていたことを前提として、本件事業所得の帰属主体を被告人である旨判断しているものであるし、昭和四五年度の所得申告については、本件所得税法違反の嫌疑事件につき調査終了前であつたため、耕三郎名儀による所得申告を受理するほかなかつただけのことであると認められるので、これをもつて、所論のごとき事実誤認の根拠とはなし難い。

なお、所論は、原判決が証拠の標目において、被告人の原審公判延における供述を掲げながら、「但し被告人は本件事業の主宰者でない旨の供述部分を除く」とした点を非難し、また、被告人の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する各質問てん末書の作成ないしは記載内容につき種々弁解をなしているが、被告人の原審公判延における供述中、被告人が本件事業の主宰者でない旨の供述部分は、他の関係各証拠に照らし措信できないことが明らかであるから、この部分を原判決が事実認定に供しなかつたのは当然というべきであり、更に、被告人の検察官に対する供述 書及び大蔵事務官に対する各質問てん末書は、いずれも被告人が証拠とすることに同意した書面であつて、取調べに無理があつたとは認められず、その作成の経過、内容に対して十分控訴できるものというべきである。従つて、右所論の点は単なる弁解というほかなく、到底是認しえない。

次に、所論は、本件所得税ほ脱の計算の基礎に父哲郎所有の資産が混入している旨主張するので、検討するに、本件につき、哲郎名儀のものを事業資産と認定したのは、普通預金、定期預金、借入金、土地の各勘定科目に限られるところ、普通預金、定期預金及び借入金については、いずれも被告人作成の各上申書の記載その他の関係資料によつて認められる入金の経過、内容等に対し、事業用の資産あるいは負債であることが明らかであるし、土地については、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書の各記載、当該土地利用の状況等から、事業用資産であることが明白というべきである。原判決の所得計算に何ら誤りは存しない。

以上の次第であるから、原判決には、所論指摘のごとき事実誤認はいささかも認められない。趣旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小淵連 裁判官 伊沢行夫 裁判官 横山義夫)

控訴趣意書

被告人 水谷雄幸

私は昭和四九年(う)方四三三号事件所得税法違反被告としてここに控訴趣意書を呈出致します。

<省略>

昭和五九年十月二二日

三重県三重郡朝日町大字埋繩九八九 地

水谷雄幸

名古屋高等裁判所

刑事第二部御中

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